前の投稿(といっても、もう少しで1ヶ月が経とうかというほど前のことですが)で多読のことを書いたので、今回は授業内多読について相談されたり愚痴をこぼされたりした時に感じることを書いておきたいと思います。
多読について聞かれる時、話題はたいてい実践や評価といった教授法か多読の効果です。授業への取り入れ方や評価の例にしろ、効果にしろ、書籍や各種論文・報告はいろいろと出ているので、それらを読めばよい済むこと。特に上司や非常勤先の教員に言われて多読をやることになった場合、依頼主が方法論のノウハウを用意しているはずなので、それに従えばいいこと。既にあるものに目を通して粛々と進めていけばいいじゃないか…というところなのだけれど、上から「やれ」と言われて多読をやることになった先生たちはどうも腑に落ちないところがあるようです。
どうして同じようなことを聞かれたりぼやかれたりするのだろう…と考えた時に行きつくのが、教材研究の不足です。英語多読というと超初心者向けの絵本のようなリーダーにばかり焦点があたりがちだけれど、各種リーダーに目を通してみればレベルもジャンルも多種多様にあること、絵本のようなものに意外と知らない語彙や表現が散りばめられていることが分かり、モヤモヤしたものも晴れるはず。でも、1〜2冊めくってみるだけでは分かりはしません。まあ、各種業務に忙殺されていた頃の自分のことを振り返ってみても、やらされることの勉強のために時間の余裕もエネルギーの余裕もないのが普通だよ…とも思いますが。
ちなみに、私が前任校で多読を始めることにしたのは学生の授業態度に衝撃を受けたのがきっかけです。大学受験という枷がないためか、着任当時の高専生にとって英語は優先順位が本当に低い教科でした。*1「英語の時間は睡眠か内職の時間」という状況を変えるには普通高校の学生や大学生にやっていたのと同じことをしていても駄目だ…と思っているなかで出会ったのが多読だったのです。私が多読に魅力を感じたのは、1)授業時間とインプットの不足を補える、2)座学よりも実習を好む高専生には特に合っていそう、3)レベルに応じて学べる(できる学生からも、苦手な学生からも教材への不満が出にくいそう)という点からです。また、院生時代に「アンタ、読んでないからろくなもんが書けないのよ!」と言われ続けて本を読みまくらねば…という強迫観念めいたものがあったという極めて個人的な事情も、「とにかく読む」というアプローチをすんなり受け入れるのに役だったのかもしれません。
そんなこんなで、「多読をやれ」と言われた先生に私が伝えたいのは、
教材研究と思って何十冊か読んでみて
ということです。ノウハウの前に教材を知るに限ります。
*1:当時から10年以上が経っているので、状況はかなり変わりました。
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